賈平凹ってどんな人?
賈平凹の自伝とかも翻訳して紹介できればいいんですが、いつになることやら・・・。

1953 陜西省丹鳳県金盆郷に生まれる

実際の家は商県の棣花村と言うところなんですが。風水が良くないと言う事で、出産の際、一時的に金盆郷に移ったようです。風水って言うのが中国らしいですね。賈平凹は、4人兄弟の長男として生まれました。お父さんは中学校の先生。一族で暮らしていたので、20人を超える大所帯だったとか。すごい!

1964 初級中学入学
学校は寄宿制で、家から7〜8キロ離れた商洛鎮というところにありました。頭よかったんですね!中国って、いまだ大学でも寄宿生のところ多いですよね。以前、無謀にも国慶節の頃に旅行をして、見事宿がなくて路頭に迷って泊めてもらったことがあったんですが、大変だと思います。
1967 初級中学中退
せっかく入学した中学校。やはり中国では文革というものは避けて通れないものなんですね。賈平凹も、紅衛兵・小紅兵の経験交流に加わったりしていたようです。お父さんは、教師だった為に拘束されてしまい、賈平凹は学校を中退して家で農作業をすることになります。
1970 父親が反革命分子になる!
本当はそうじゃないけれども、あらぬ疑いで・・・なんて事は日常茶飯事。賈平凹のお父さんも反革命分子にされてしまいました。そのため、賈平凹一家は、かなり苦しい生活を強いられたようです。賈平凹自身は、ダムの工事現場で働き始めますが、その後宣伝教育担当係となります。
→ 文化大革命中の体験談とかは、もうすごいに尽きるのばっかりなので、興味ある方は読んでみてください。
1972 西北大学中国文学科に入学 / 父親の名誉回復
この頃の中国には、大学生が「知識青年」として農村へ行き学び(下放と言います)、大学に、人民公社から推薦を受けた人たちが通うという制度(?っていうのだろうか)がありました。賈平凹にとってはお父さんの濡れ衣が晴れたこととあわせてラッキーな年だったんじゃないでしょうか。
1975 陜西人民出版社の編集助手として働く
人民公社の推薦で大学へ入学した人は、卒業後は必ず農村へ戻らなければなりませんでした。これは異例のことと言えます。賈平凹は在学中から多数の作品を発表していたからかもしれません。ここで働きながら、やはり多くの作品を発表していきます。
1978 全国優秀短編小説コンクールに入賞!
事実上の、デビュー! <満月儿>(上海文芸‘78.8)
1979 中国作家協会に加入
ここに加入して初めて「職業:小説家」になると思うんですがどうなんでしょうか??1980年代からは、専業創作を開始し、次々と作品を発表します。

その後の創作活動についてはTEXTやBOOKを参照してくださいませ。

蛇足:yameiが賈平凹を知ったきっかけ →  yameiと賈平凹との出会い

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